「もしも西成市民館を建て替えるとしたら?」
その1(2001.6.30),その2(2002.11.23)(速報版),(詳細)


西成市民館建て替えビジョン策定ワークショップ(その2)の報告 

(更新日2002年12月30日)             ありむら潜
      <ダイジェスト版>
(詳細は、追って当ホームページに掲載予定)

日時:2002年11月23日(祝)13:00〜16:30
場所:太子福祉館
主催:萩之茶屋連合第6振興町会
協力:釜ケ崎のまち再生フォーラム

■今回の重要な特長
 それは<主催者:萩之茶屋第六振興町会>とし、<協力:釜ケ崎のまち再生フォーラム>となった点です。
 →解説
 釜ケ崎地域には複雑な歴史的経過により、(流動性の高い)"労働者世界"と(定住者としての)"住民世界"が併存し、まちづくり意識の浸透の中で今ようやく双方が手をとりあう機運が芽生えています。"住民世界"も(イ)伝統的な町会・商店会所属の"旧住民層"だけであったのに加えて、(ロ)野宿等から脱出し居宅保護生活へ移行して社会への再参加をめざしつつある"新住民層"等があります。今回はこの、「この街に住み続けよう」と考える(旧・新)住民層視点から西成市民館建て替えへのニーズをさぐろうというものです。とりわけ、「長年、声を聞いてもらえることがなかった」旧住民層=町会の方々に光を当てつつ、共生の象徴としての建て替えビジョンをさぐろうということになりました。これが可能となったのも、(ロ)の人々に「まちづくり参加」の動きが始まったからにほかなりません。第六町会がその一つの軸になっています。

▼もし建て替えが現実のものになるとしたら、(1)そこで何をするのか、 (2)どこがどういうふうに運営するのか、(3)実現のための運動をどうすすめるのか、この3つがあります。
今回は時間的制約でどうしても(1)が中心となり、他は「可能な範囲の議論」にとどまらざるをえません。が、最後に「次のアクションを合意する」ことができれば運動は継続発展することになります。

■ 当日の参加者
約30名。釜ケ崎地域や西成区に住居や職場(町会、公共団体、サポーティブハウス)がある人々(10数人)、ずっとこの地域の問題にボランティアや研究者として関わってきている人々(10数人)、そして初参加の学生さん数人、建築家2〜3名(うち、お1人は東京の山谷地区から)。同じ時刻に急に地域関係者にお葬式が入ったため、萩之茶屋連合町会長さん等が来れないという事態も起きましたが、第八振興町会長さんが急きょかけつけてくださいました。しかもこの人がたいへん誠実にまちづくりの視点でものごとを考える方で、日増しに雄弁な第六振興町会長さん、張り切っておられる同副会長さんと合わせて議論の軸になってもらい、すすめることができました。
総合ファシリテーターは、阪東美智子さん(釜ケ崎居住COM代表、工学博士)。

■ 進行のあらまし

▽ 市民館のおひざもとの町会である第六町会の建て替え案(=新しい市民館に期待する役割)を副会長の小掠昭さん(わかくさ保育園長)が、地域の歴史や特性にも触れつつ、わかりやすく提案。
▽ この中で、
<よその街にあってこの街にないもの>として高齢者デイサービスセンター、在宅介護支援センター、給食配食サービスセンターの各機能。
<よその街になくてもこの街だから必要なもの>として子供の緊急ショートステイ施設、障害者支援センター、(高齢者、女性、子供向けの)地域医療センターの機能、それに「何でも相談所」、
<今あってこれからもあるべきもの>として集会所、保育園 を提示。
市民館はもともとスラム対応の隣保館として設立されていたことから新建物も「老人―子供―女性」など「地域をヨコにつなぐ場として復活させよう」との趣旨が語られました。

▽続いて、第八町会長の松本巌さんから同じ連合町会、それもほとんどお隣であるにもかかわらず南海電車高架をはさんで、異なる住民層(日雇い労働者世界からはより遠い層)やニーズが存在し、異なる高齢化の態様があること(→子供世代が出て行き、取り残されたネイティブの高齢者ばかりで夜間は過疎地と同じく緊急対応が切実な問題等)が紹介されました。
それでも双方とも「ソーシャルインクルージョン」という言葉を明確に使うところが近頃の「町会情勢」のすごいところ。(→第六町会のよびかけで独自の勉強会をこの秋にやったとのことです)
 
▽その後、3つのグループに分かれてワークショップ(全員参加型の討論)。
30分後にその結果を各グループのファシリテーターが報告。それをこんどは全体で議論し、共有するという作業をしました。

▽「施設は多面的に利用しないとだめ」「現在策定中の<地域福祉計画>が平成16年度に西成区版ができる(各校区ごとにつくっていくとのこと)。それを視野に入れた提案を。区のあちこちでワークショップがあると聞いているので、それに参加しよう」「策定委員には現在すでに行政とパイプを持っている団体だけでなく、もっと多様な委員を選ばせるべき。そこに住んでいる人々、つまり町会が基本なのだから」などの意見も出ました。

▽なお、建築家さんにもアドバイスを求めましたが、「道路は8mで、商業地域。3m引っ込めると高さ21m、7階建てまでは可能だが、建ぺい率を考えると5階建てが目いっぱいというところでしょうな」とのことでした。現在は3階建てです(エレベーターもなし)。

▽最後に、次へのアクションを議論。
「町会での案を基礎にしつつ」「再生フォーラムは独自性もキープしながら」「この問題を専門的にすすめていく何らかのグループ(委員会的なもの)を立ち上げ」「連合町会で動いていけるように調整しながら」すすめていく、というのが最大公約数だったと思います。
まだまだ「労働者世界」、(野宿からあがり住み続けようとする)「新住民層」、(伝統的な町会や商店会に属している)「旧住民層」や町会長の方々、どれをとっても議論の浸透度が浅いため、うんと広げ深めていく必要があります。
釜ケ崎のまち再生フォーラムでは2003年の重点課題の一つと位置づけています。

(記録起こしのためにお手伝いいただいた滋賀県立大学の学生のみなさん、ありがとうございました)




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